足利義満による他氏排斥、土岐氏・明徳・応永の乱 日本史Bの常識 八

日本史B

他氏排斥

日本史Bの特に中世くらいで重要な言葉となる他氏排斥。この言葉はライバルを蹴落とすという意味を持っています。この他氏排斥は時の権力者がより強固な権力を築くためにたびたびおこなわれています。具体的には藤原氏、北条氏、そして今回取り上げる足利義満が挙げられます。

日本史Bの常識~八~

問:足利義満の時代の3つの他氏排斥事件を古い順に答えなさい

日本史B:1388年 土岐氏の乱、1391年 明徳の乱、1399年 応永の乱

中学歴史:足利義満は金閣寺

土岐氏の乱

足利義満は室町幕府3代将軍ということですでにある程度の力を持っていましたが強大で揺るがない力を持つことを目指しました。そのために行われたのが上の3つの他氏排斥事件です。

室町幕府は各地に守護が置かれていましたが、その守護の中でもとりわけ力を持っていた3人の守護が3つの他氏排斥事件で力を奪われました。

最初に狙われたのは美濃など3国の守護であった土岐康行です。義満はわざと守護を土岐氏の中の別の人に変えることで土岐氏の中で内紛を起こさせようとしました。守護を変えられたことに怒った土岐康行は尾張の守護をしていた別の土岐氏と戦い始めます。つまり案の定義満の作戦にはまってしまったのです。

この土岐康行の行動は幕府への反抗とみなされ康行は幕府から攻撃を受けます。そして結局康行は死んでしまい土岐氏は力を落とします。

明徳の乱

次の標的は山名氏です。山名氏はなんと11か国もの守護についていました。これだけ多くの国で守護をしていれば当然狙われます。こちらも土岐氏の乱と同じく義満が山名氏の中で内紛を起こさせようとしました。

結局この狙いはうまくいってしまい山名氏の中では激しい内紛となり大きく力を落としました。この結果大内氏が力を得ることになるのですが次に狙われたのがこの大内氏です。

応永の乱

北九州で力を持っていた大内義弘は山名氏が守護の役職を手放した紀伊・和泉での守護も務めさらに力を得ました。

その後大内義弘は幕府に対する反乱を始めます。これが応永の乱です。結局この反乱は失敗し大内義弘は討ち取られてしまいます。

この反乱に乗じてほかの有力者も反乱を起こしたのですがこれらもすべて失敗します。こうして義満は一気に多くの有力者の排除に成功し強大な権力を獲得することになります。

まとめ

足利義満の他氏排斥事件
1388年 土岐氏の乱、1391年 明徳の乱、1399年 応永の乱

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