将軍の代替わりごとに発布された武家諸法度 日本史Bの常識 十一

江戸時代初期

 今回は江戸時代初期についてです。武家諸法度と聞けばかなりの方がご存知の用語だと思います。武家諸法度は小学校の歴史でも取り上げられている内容なので歴史の中でもかなりメジャーな用語だと思いますが実は武家諸法度は複数あるという内容は日本史Bでは常識ですが中学歴史では全く取り上げられていません。

日本史Bの常識~十一~

徳川秀忠、徳川家光それぞれが出した武家諸法度の名前とそれぞれの起草者を答えなさい。

日本史B:秀忠は元和令、金地院崇伝、家光は寛永令、林羅山

中学歴史:家光しかわからない

武家諸法度は代替わりに発布

 中学歴史では家光が出した武家諸法度しか習わないため武家諸法度は家光が出したものだけだと思っている人が多いかもしれませんが実は2代将軍秀忠以降の将軍は全員が代が変わるごとに武家諸法度を発布しています。

 それぞれの武家諸法度は発布された時の年号を基にした別名が付けられています。

 代が変わるごとに発布されているためたくさんの武家諸法度が存在しますがその中でも覚えなければいけないのは元和令、寛永令、天和令だけです。

 それ以外は前のものをほぼそのまま発布したようなものばかりなため日本史Bでも取り上げられていません。

元和令

 武家諸法度で有名なのは家光が出したものですが最初の武家諸法度は2代の秀忠が出したものです。これを元和令と言います。この元和令の起草者は金地院崇伝という人物です。この金地院崇伝は黒衣の宰相と呼ばれ江戸時代初期に大きく江戸幕府の政治に関わり功績を残した人物です。

 この元和令は日本史Bでは出てきますが中学歴史では出てきません。その理由はこの元和令の内容にこれといったものがないからです。一方寛永令はかなり有名な内容がいくつか含まれています。

寛永令

 家光が出した武家諸法度を寛永令と言います。起草者は林羅山という人物です。

 この寛永令は前の元和令と大きく内容が変化しました。その中でも超メジャーな内容が含まれました。それが参勤交代の制度化です。

 寛永令により大きく幕府の方針が固まることとなりました。

まとめ

 寛永令と元和令はよく入れ替え問題として出されることがあります。発布した人、起草者、内容について整理して覚える必要があります。

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