薬子の変と藤原氏北家、式家 日本史Bの常識 九

日本史B

平安時代初期

 今回は平安時代初期の出来事を取り上げています。奈良時代・平安時代はいろんな藤原氏が登場して混乱してしまいますが、頑張って覚えていきましょう。

日本史Bの常識~九~

問 平安時代初期に起きた薬子の変により生じた藤原氏内部での変化とは?

日本史B:薬子の変の後それまで力を持っていた藤原氏の式家が力を落とし藤原氏北家が力を伸ばし始める。

中学歴史:薬子の変とは?

平城天皇と藤原薬子

 794年、桓武天皇の時に平城京から平安京へと遷都し平安時代が始まりました。そして都が平安京となって2人目の天皇が平城天皇です。

 平城天皇は病のため比較的早く位を譲り嵯峨天皇の時代となりました。早くに位を譲った平城天皇ですが平城上皇となってからも力を持ち続けました。そしてこの平城上皇の寵愛を受けたのが藤原薬子です。

 薬子の兄、藤原氏式家の藤原仲成はこれを利用し力を得ようとします。仲成は平城上皇を再び天皇としさらに平城京への遷都を画作します。

嵯峨天皇と藤原冬嗣

 大きな力を持つ平城上皇と仲成連合に対抗し嵯峨天皇は蔵人所というものを設置しこの長に藤原氏北家の藤原冬嗣を任命します。蔵人所の説明は省きますが力を持つ機関です。こうして平城上皇+藤原氏式家VS嵯峨天皇+藤原氏北家の図式が出来上がりました。

 この対立は結局嵯峨天皇+藤原氏北家側が勝つことになります。仲成は射殺され薬子は自殺という結果となり藤原氏式家は大きく力を落とすことになりました。

 一方藤原氏北家は大きく力を得て藤原氏最盛期の藤原道長、頼道の時代までつながります。つまり平安時代に登場する藤原氏はすべて北家ということになります。

まとめ

 薬子に変をきっかけにそれまで力を持っていた藤原氏式家は力を落とし代わりに藤原氏北家が台頭することとなった。

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