強圧的な江戸前期
江戸幕府は成立当初は強圧的な政策をとっていました。関が原で敗れた側の大名は遠くに行かされ武家諸法度により大名に厳しい制限が加えられそして幕府に対しは向かうような大名がいればその大名は改易という領地を没収される処分が下されました。
しかしある事件をきっかけに江戸幕府は厳しい政策を転換させることになります。
日本史の常識~二十二~
問:江戸幕府が強圧的な政策を緩和させるきっかけとなった事件を答えなさい。
日本史B:由井正雪の乱(慶安の乱)
中学歴史:島原の乱?
牢人たちの不満
改易の処分を受けた大名の部下は主君を持たない武士となりこれを牢人と言いました。江戸時代初期は次々と大名に改易の処分が下り多くの牢人が発生しました。
由井正雪の乱
1651年、由井正雪という軍学者が牢人を集めて幕府を転覆しようとしている密告が幕府に入りました。その後由井正雪の部下が逮捕されその部下を取り調べれ幕府はこの密告が正しいと判断し由井正雪を幕府転覆の首謀者として逮捕しようとします。
由井正雪は結局逮捕される前に自殺してしまいこの事件自体は終わりを迎えますが、実際由井正雪が本当に幕府を転覆しようとしていたのか、ただ牢人を救済しようととしていただけなのかは分かっていません。
文治政治
由井正雪の乱の真相はよく分かりませんが幕府はこのまま強圧的な政治を行っていると不満を持つ牢人が増えていきやがて本当に転覆事件が起きてしまうのではないかと考え強圧的な政治を緩和しようと考えました。
こうして江戸幕府は法をしっかりと整備し社会秩序の安定を図る文治政治を始めます。
具体的にはなるべく大名に改易の処分を下さないようにしたり、末期養子の条件を緩和したり、殉死の禁止といった政策を幕府は出しました。
まとめ
由井正雪の乱は幕府が文治政治を行うようになるきっかけとなった事件である。
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