外国船の接近
江戸末期、ペリーの来航により日本の鎖国が終わったことは多くの人が知っていることだと思いますがそれ以前にも多くの外国船が日本を訪れて日本の開国を要求していました。
日本史Bの常識~十七~
問:フェートン号事件、レザノフ来航、ラクスマン来航、モリソン号事件、これらを起きた順に並べ替えなさい。
日本史B:ラクスマン来航、レザノフ来航、フェートン号事件、モリソン号事件
中学歴史:hh
ラクスマン来航
江戸時代、ペリー来航以前にも外国船の来航がよくあり、その中でも4つの外国船来航を覚える必要があります。
まずラクスマン来航です。このラクスマンはロシアの人なのですがロシアに漂流した日本人大黒屋光太夫を日本に還すという名目で根室に来航しました。しかし本当の目的は日本とのロシアの通商を求めることでした。
ただラクスマンはロシア船が長崎に入港することができるという許可を得るだけで帰っていきました。
レザノフ来航
レザノフはラクスマンが持ち帰った長崎入港の許可証を持って、長崎にやってきました。しかしどうしても鎖国を守り抜きたい日本はラクスマンの入港を拒否します。
レザノフは長崎で半年待ちますが結局入港することはできずついに怒ります。怒ったレザノフは樺太を攻撃した後ロシアに帰っていきました。
フェートン号事件
上二つはロシア船ですが今度はイギリス船です。当時イギリスとオランダは敵対関係にありました。このイギリスのフェートン号は長崎にいるオランダ船を攻撃するために長崎に来航してきました。
フェートン号は日本に対しかなり態度が悪く脅迫して食料を要求しました。
この事件前は外国船に対し柔和な態度をとっていましたが、この事件以降は外国船に対し強く出ようということで異国船打払令が幕府から出せれました。
モリソン号事件
異国船打払令が出た後アメリカのモリソン号が通商と漂流民送還を目的として日本に来航しようとしました。モリソン号はしっかりとした交渉を行う予定だったのですが日本はそんなことは構わず砲撃して追い返してしまいました。
まとめ
ラクスマン来航 → レザノフ来航 → フェートン号事件 → モリソン号事件
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