藤原氏による他氏排斥
今回は平安時代中期です。平安時代に入り藤原氏北家はライバルを次々と蹴落とし、また天皇家の親戚となることで摂政や関白になったりして揺るがない権力を手に入れようとしていました。
中学歴史まででは藤原氏が摂関になることで力を得ようとしていたことは学びますが、他氏排斥についてはあまり学びません。今回は藤原氏による最後の他氏排斥事件について紹介します。
日本史Bの常識~十四~
問:源高明が失脚し、その後常に摂関が置かれるようになることが決まったきっかけとなった事件の名前を答えなさい。
日本史B:安和の変
中学歴史:んん
最後の他氏排斥事件
平安時代に入り藤原氏北家は様々なライバルを蹴落とすことに成功しました。主な他氏排斥事件は承和の変、応天門の変、菅原道真が左遷させられた事件です。
ライバルは次々といなくなりましたがなかなか揺るがない権力を手にすることはできませでした。その原因は天皇です。藤原氏は天皇の親戚になることで摂関になり権力を手に入れていましたがうまく親戚になれないこともありました。その理由は天皇が代を譲るとき藤原氏と関係のない人を選ぶことがあったからです。
平安時代は初期は天皇家がどうにか藤原氏を排除しようという動きが度々おこなわれ、特に醍醐、村上天皇の時代には長い間藤原氏は摂関に就くことができず政治にかかわれませんでした。
上に二人の天皇はどうにか藤原氏を排除しようとしましたがその次の天皇は冷泉天皇は病弱で、藤原氏は関白になることができました。
いよいよ藤原氏はその地位を完璧なものにすべく策を練ります。そこでターゲットにされたのが当時藤原氏最大のライバル源高明です。この源高明はうまくいけば摂政になれそうな状況にありました。
藤原氏は高明が当時の天皇の皇太子を廃し、別の天皇を擁立しようとしているといううわさを流し源高明を朝廷から追放することに成功します。これを安和の変と言います。
この変以降、藤原氏のライバルはいなくなり、また藤原氏が常に摂関となることが決まり独占的な地位を手に入れることに成功します。
ライバルがいなくなったことにより次に始まったのは藤原氏内部での争いです。この争いに勝ったのが有名な藤原道長です。
まとめ
藤原氏は安和の変以降独占的な地位を手に入れた。
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