後醍醐天皇の倒幕計画、正中の変・元弘の乱 日本史Bの常識 十

鎌倉時代末期

 今回は鎌倉時代末期についてです。中学歴史では鎌倉幕府が倒され後醍醐天皇による建武の新政が始まったくらいしか習わないですが日本史Bは倒幕から建武の新政までの流れをかなり詳しく学びます。その中でも取り上げるのは一番最初の方の出来事です。

日本史Bの常識~十~

問:後醍醐天皇が起こした二つの倒幕に関する事件とその協力者2人を答えなさい。

日本史B:2つの事件は正中の変、元弘の乱。協力者は日野資朝、日野俊基

中学歴史:・・・

親政を目指した後醍醐天皇

 鎌倉時代が始まって以降大きく力を伸ばした武士。一方、朝廷はお飾りのような存在へと成り下がっていました。また朝廷内部でも院政が行われ上皇が力を持つような時代が続いており天皇中心の時代は遠く昔といったような状況でした。後醍醐天皇は昔の天皇中心の政治を目指し、まずは朝廷内部で院政をなくし天皇中心の政治いわゆる親政を始めました。

失敗した倒幕計画

 そして次に目指したのは朝廷が中心となる国づくりでした。そのために後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒す計画を立て始めました。そしてこの計画に大きくかかわったのが後醍醐天皇の近臣である、日野資朝、日野俊基でした。

 しかしこの計画幕府にばれてしまい、日野資朝は捕らえられ島流しとなりました。これが正中の変です。

 しばらくして後醍醐天皇は再び倒幕計画を立て始めますがまた幕府にばれてしまい正中の変では許された後醍醐天皇ですが今度はそうはいかず天皇ですが隠岐の島へと流されることとなりました。

後醍醐天皇復活

 後醍醐天皇の倒幕計画は結局自身の島流しという最悪の形で終わってしまいましたが後醍醐天皇はまだあきらめていませんでした。

 天皇の倒幕計画に触発されたのか全国で多くの武士が倒幕へと動き始めます。このことを知った天皇は島からの脱出を試みて成功し島根県に身を隠しながら全国に倒幕命令を下します。

 この後、鎌倉幕府はのちの室町幕府初代将軍足利尊氏や新田義貞の攻撃を受けあっという間に滅びてしまいます。実のところこの時点で鎌倉幕府かなり力を失っていたようです。

 倒幕に成功したことを知った後醍醐天皇は京都に戻り自身の悲願である天皇中心の政治を目指し始めます。これが建武の新政です。一度は島流しになるも天皇中心の政治を始めることに成功した後醍醐天皇ですが結局長続きはしませんでした。

 この後については大まかに言えば足利尊氏が室町幕府を作り、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃げて南朝をつくり南北朝時代へと突入するという流れです。

 

 

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