日本史Bの常識 第5回
日本史Bと中学歴史にはその内容に大きく差があり日本史Bの常識は中学歴史の非常識であることがよくあります。そんな内容を紹介するこのページ。今回は倭寇についてです。
日本史Bの常識~伍~
前期倭寇、後期倭寇それぞれの特徴を答えなさい
日本史B:前期倭寇は主に日本人が朝鮮半島や中国沿岸で略奪行為を行った。後期倭寇は主に中国人が東シナ海で活動した。
中学歴史:倭寇は倭寇。
前期倭寇
中学の歴史では前期倭寇のみを倭寇として学ぶことになっているのですが実は倭寇は前期と後期があります。また倭寇という名前から日本人による略奪行為だと思っている人が多いと思いますが実は日本人以外にも様々な国籍の人々がこの略奪行為に加わっていました。
まず前期倭寇について説明します。
前期倭寇が主に活動していた時期は室町時代初期です。この構成員は基本的には日本人でした。活動場所は主に朝鮮半島や中国沿岸
当時日本と中国は国交がなかったため公的な貿易が行われていませんでした。しかし私的な貿易は盛んにおこなわれていました。この私的な貿易が暴力化し略奪行為を行うようになり、中国で大きな問題となり中国側でこのような暴力的な集団を倭寇と呼ぶようになりました。
その後室町幕府3代将軍足利義満は明と正式に国交を結び日明貿易が始まります。この日明貿易で行われたのが勘合を用いた貿易。この勘合が用いられたことにより前期倭寇は沈静化することになります。
この勘合貿易に関する内容は中学でも習います。
後期倭寇
勘合貿易により倭寇は沈静化しますが、再び倭寇は活動を始めることになります。その理由は勘合貿易が行われなくなったからです。
なぜ行われなくなったのか。その理由は4代将軍足利義持が明と国交を断絶したからです。義持が父である義満を非常に嫌っていたため義満が行っていた政治とは反対のことばかりを行いました。その一環として明との国交断絶がありました。
ということで再び活動の始まった倭寇ですがこれを後期倭寇と言います。同じ倭寇ですがそのほとんどは中国人であったと言われています。
また活動場所は以前よりも南の方で行われました。
そして再び倭寇は中国で大きな問題となりました。
後期倭寇が沈静化したのはかなり先で安土桃山時代末期の1588年に豊臣秀吉が出した海賊禁止令により後期倭寇は活動が終わりました。
まとめ
倭寇には前期と後期があり、その構成員は日本人だけでなく中国人など様々な国の人々がいた。