bluTh blog

中学で学ばない日本史の常識26 藤原広嗣の乱と聖武天皇の混乱

聖武天皇

 またもや奈良時代についてです。今回は聖武天皇が中心人物です。聖武天皇は小学校の歴史でも出てくるほど有名な歴史上の人物ですがせいぜい大仏を作った人という印象しかないのではないでしょうか。なぜ聖武天皇は大仏を作ったのでしょうか。それはある事件がきっかけでした。

日本史Bの常識~二十六~

問:聖武天皇は藤原広嗣の乱が起きた後どうなった。

日本史B:繰り返し遷都を行ったり、仏教の力で国を治めようとした。

中学歴史:天皇になった・・・

藤原広嗣の乱

 奈良時代、橘逸勢が力を持っていた時、この前の権力者である藤原四子の一人宇合の子供藤原広嗣は力を取り戻したために反乱を起こします。

 しかしあっけなく鎮圧され広嗣は殺されてしまいます。

遷都に次ぐ遷都

 反乱は成功せず鎮圧できましたが聖武天皇はこの乱がおきたことで非常に動揺します。そして聖武天皇の混乱が始まります。

 まず聖武天皇は当時の都だった平城京から恭仁京へと都を移します。ここまではわかりますがこの後わずか数年の間に難波京、紫香楽宮へと遷都した後、結局また平城京に戻ります。

 普通はこんなに何度も遷都することはありえないのでおかしな行動と言えます。

 また聖武天皇は仏教にすがり始めます。とにかく仏教というものの力を信じ、国を治めようとします。この時社会不安が深刻になっていたこともあり聖武天皇はさらに仏教の力を使うためにある2つの詔を出します。それが全国に国分寺を作ることと奈良に大仏を作ることでした。

 藤原広嗣の乱だけで動揺しすぎだと思うかもしれませんが以前紹介したように奈良時代は様々な権力者が現れては消えた時代でこの混乱の時代の中、長い間聖武天皇は天皇であったため広嗣の乱が起こる前から追い詰められていたのだと思います。そして乱がきっかけとなりついに動揺が行動として表れてしまったのでしょう。