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日本史Bの常識 鎌倉幕府の2代目以降の将軍

日本史Bの常識

 圧倒的に情報量の差がある中学歴史と日本史B。そのため日本史Bでは常識でも中学歴史では全く取り上げられていない内容が多く存在します。そんな内容を紹介します。

日本史Bの常識~四~

鎌倉幕府頼朝以降の将軍を答えてください

日本史B:第2代 源頼家 第3代 源実朝 第4代 九条頼経 第5代 九条頼嗣 第6代 宗尊親王 くらいまで覚える

中学歴史 ?

お飾りの将軍たち

 圧倒的に有名な鎌倉幕府初代将軍源頼朝。彼は源平合戦を勝ち抜き、140年間続く鎌倉幕府を作った人物ですがこんなことはほぼすべての人がご存知だと思います。

 しかし鎌倉幕府2代目以降の将軍となると一気に知名度が下がります。ちなみに2代目は源頼家という人物で頼朝の子供に当たります。

 なぜ2代目以降は知名度が下がってしまうのでしょうか。その原因は2代目以降の将軍がこれと言って何かをしていないからだと考えられます。

 何もしなかった理由は何もさせてもらえなかったからです。つまり2代目以降の将軍は完全にお飾りの将軍に成り下がっていたのです。

 頼朝死後、鎌倉幕府で力を握ったのは北条氏です。中学歴史では2代目以降の将軍は登場しませんが北条氏は何人か登場します。その理由は鎌倉時代での出来事を実際に行っていたのは北条氏だからです。

 具体的に言えば御成敗式目を作った北条泰時や元寇の対策に当たった北条時宗などです。

あっという間に滅びた源氏

 2代目将軍となった源頼家は北条氏により将軍の力を制限されました。この状況はどうにか変えようとしたのですが殺されてしまいました。3代目将軍源実朝になり完全に北条氏が実権を握ることになりました。2代の頼家が殺されたこともあり実朝はあまり政治にかかわろうとしませんでした。

 実朝はお飾りの将軍でも構わないという立場だったのですが結局殺されてしまいここで源氏は滅亡することになります。

謎の将軍たち

 4代以降は朝廷から連れてこられた摂関家や天皇家の人物でとにかく形式的でしかない将軍ばかりです。つまり皆何もしていません。

 しかし日本史Bでは6代将軍まで覚える必要があります。ここで大事なことは4,5代の九条頼経、頼嗣が朝廷の摂関家の人物、6代目の宗尊親王が天皇家の人物であることです。

まとめ

源氏将軍 第2代 源頼家 第3代 源実朝
摂関家将軍 第4代 九条頼経 第5代 九条頼嗣
天皇家将軍 第6代 宗尊親王

2代目以降の将軍は形式的であり実権を握っていたのは北条氏。
鎌倉時代で大事なことの多くは北条氏が行った。